「内定通知電報」と再会。

暑い真夏が始まりました。 朝から太陽の強い日差しが、地上の全てのモノに降り注ぎます。
しばらくは、こういう毎日を過ごし、次の季節にすすみます。

さて、私の生まれ故郷にある「空家」が、取り壊しのタイミングになった。
周辺の家の了解や、街を整理している「行政機関」に対する「認可」がおりた。

現地で、各種の調整をして頂いている方からの連絡によると、作業員8名の方が
「家」に入り、「不用品」の撤収を始めたそうです。
この作業が数日掛かり、その後 「家」は取り壊され、「更地」になる。

先月 私が、この「家」の中にあるモノで、「必要」なモノを、事前に「取り出して」いる。
それ以前に過去3度程 現地 呉に帰省し、必要なモノを確認した。

この「家」は、時代的に昔の「家」なので、「仏壇」がある。
昔の人は「大切なモノ」を、この「仏壇」の中に入れて、「保管」していたようです。
「仏様」の居る部屋にあるモノは「大切なモノ」で、決して「触ってはいけない」様に、子供の頃「しつけられた」記憶がある。

この「仏壇」が収納されている部屋を「仏間」と読んでいる。
ここを整理していると、なんと私が就職した会社からの「内定通知」の「電報」と、「内定書」が出てきた。 驚きました。 なんで、この様な場所に「保管されているのか」???

その会社から、横浜の下宿先で「志望会社」からの「内定通知電報」を受け取り、大喜びをした記憶は、鮮明にある。

この頃の日本は、「東京オリンピック」が終わり、「不況」の風が吹いていた。
関西の大手鉄鋼メーカーが倒産した。

私は、内定書が来た会社に、『どうしても』「就職したかった」!!!。
「就職試験」も難しかったし、「面談」でも、あまり好印象も受けなかった。

だから、「内定」の「電報」を受け取った時の「嬉しさ」は、忘れません。
本当に嬉しかった。

この「電報」が、仏間にあった。 多分 私が父に「電報」を見せて、その後父が、ここに
「収納」したのでしょう。
誰にも「知れず」数十年もの間 「内定通知電報」は、この場所にあった。

この「内定通知電報」は、他の人が見ると、「タダの紙」です。 ですが、私にとっては「タカラ」です。

災害に遭って、「家」がなかなか「取り壊せない」。「時間ばかりが過ぎる」と、云う話は、よく聞きます。

家の中にある「モノ」の「価値感」が、障害になっていることを、よく聞きます。
こんな、「情態」のことを云うのでしょう。

この「内定通知電報」は、今は私の部屋の大切な「場所」に、保管しています。
でも、コレを私以外の人が見て「大切なモノ」とは、決して思わない。
だから、この「内定通知電報」は「私だけの『宝』」です。

写真は、我が町の「空」です。

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ほりたろう について

ウォークマンで音楽を聴きながらデジカメを片手に持って、散策するのが大好きなお爺さんです。17歳の「パピオン」「雄」 を飼っています。
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