故郷 呉 に帰りました。

広島地方裁判所へ用事があり、呉に帰りました。
呉は、私が生まれ、高校迄育った”地”です。 私が育った時代は、
大通りに路面電車が走り、”中通り”は、人が溢れ、賑やかなショッピング・モールでした。
が、 今は、広島と云う大きな経済都市へ1時間で行ける。 
また、 呉市の周辺に大きなショッピング・モールができて、私が育った、”中通り”は、まるで、”シャッター通り”になっていました。
父が女性用の衣服生地の小売をしていた。 その商店の中から、”呉”を眺めていて育ちました。
 父は、大きな経済都市 ”広島”が、呉の小売商店を食う、と 予測。 
父が賃貸ビルを、建てた。今 このビルに2商店が入居して、賃収入を得る様に変えた。
が、この2商店も、賃料の滞納、賃料の値下げ要求があるそうです。また、ビルの3階部分は、”空き家”。
今 父がいたら、こんなにしょぼくれた街を、嘆くことでしょう。
現代は、交通手段が大きく発達し、短時間で、大量の人を運ぶことができるようになった。
また、 流通システムは、個人の小さなニーズを実現できるように、販売のロットサイズが小さくなり、
                          多品種の商品を、ユーザが選べるようになった。
そして、大きなショピング量販店がしのぎを削って、ユーザを捉えている。
この様な時代に個人商店は、太刀打ちできなくなり、シャッターを下ろさざるを得ない事態に陥っている。 
そんな現実を見てきました。
呉は、かつて、海軍本部があり、水兵さんの街。 
   また、戦艦大和を作った、造船技術の街でした。 何か寂しいものを感じました。

ほりたろう について

ウォークマンで音楽を聴きながらデジカメを片手に持って、散策するのが大好きなお爺さんです。17歳の「パピオン」「雄」 を飼っています。
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