教育の格差

今日は朝から「雨」。 雨の日は鬱陶しい。
今朝、郵便局に出掛け、卒業した「学校」に「寄付金」を送金してきました。

「学校」! 今は「受験」シーズンです。
一番上の孫も、公立高校の最期の試験日が迫り、応援している「かみさん」も、若干「イライラ気味」です。

どうか、今回の試験で、無事「合格」してくれることを祈っています。

さて、最近「格差」の問題がよく取り上げられています。
そう! お金持ちは、ドンドンと「お金」がたまり、更に裕福になってゆく。
が、その逆、「貧乏人」は、ますます「貧乏」になってゆく。
これでは、生きる「夢」がなくなります。

こうした「格差」は、「教育」の現場でもみられるそうです。
2月15日附の日経新聞「日曜日に考える」で、この教育格差について、論じられていた。

私が歩んできた「世代」は、「頑張れば、必ず報われる。」、そして「競争の機会は平等に与えられる」。
こうした、「思想」のもと、「精一杯」「努力」して「頑張ってきた。」
出自に関係なく、「能力」と「努力」が「到達点」を決める。 そう、「メリトクラシー」です。

福沢諭吉先生は、「学問を勤めて物事をよく知る者は貴人となり豊人となり。。。」と言われている。

ところが、「今の世代」はこの原理が「壊れている」様だそうです。

こんな実験がある。

「家庭の社会経済的背景」は、「最低」だが毎日3時間学習する子供のグループ。
もう一つは、学習時価が「ゼロ」だが「家庭の社会経済的背景」は「最高」。

このグループで「学力」に平均値を比較した結果、小中学校とも、後者の家庭環境が
良い「グループ」の方が上だったそうです。

平たく言えば、「貧しい家の子供は、よほど勉強しても、金持ちのボンボンには、かなわない」。

この様な調査があるそうです。

「学力が、ここまで家庭状況に影響されている実態は、直視すべき」と。

イヤ! 驚きました。
そう! 私が卒業した「学校」の入試結果は、「インターネット」で、見る様になっていました。
校庭の掲示板の「合格者の番号」が「掲示」されているかどうか解りませんが、パソコンを持っていない「受験生」は、環境的には「不利」です。
パソコンの一台位 自分のモノとして持てない人間は「受験するな!」。
こんな環境が出来上がることは「反対」です。
なんだか、「寂しい」感じがしました。

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ほりたろう について

ウォークマンで音楽を聴きながらデジカメを片手に持って、散策するのが大好きなお爺さんです。17歳の「パピオン」「雄」 を飼っています。
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