日本の南極隊がとった対応

朝のスケジュールが忙しい、金曜日 土曜日 そして月曜日が終わり、ホット一息入れた今朝です。
机の上は、なんだかんだの書類がバラバラになっている。
その中に、お寺さんから来た「小冊子」が目に留まる。

お寺さんが、一年に一回檀家向けに印刷されたモノ。

オヤ?! お寺さんは、今の世の中の「流れ」から「信者」の数が増えない。
まさに、「死活問題」です。
4枚の紙のトップには、「浄土真宗」の「教え」の様な記事を、このお寺の住職さんが書いている。
つらつらと目を通すと、どうやら人間と動物のことが記載されている。

記事の中身は、その昔 南極越冬隊の母船が基地に接舷できない。 基地で「越冬」させるだけの
「物資」と「機材」が、南極越冬隊の基地に送りこめない。 氷の層が厚く、当時の船では、氷を
砕けなかった。 そこで、南極隊は 昨年迄 この基地で過ごした隊員と一部の観測記録を、
基地から船へ、ヘリコプターで運び、新たな「越冬隊」を送りこまないで、母国日本へ帰ることになった。
日本にもって変える必要な機材の中には、基地で一緒に生活した「イヌ」が含まれない。
そう! イヌだけが南極基地に取り残された。

残されたイヌは、基地で「鎖」に繋がれたまま。。。
こうなると、イヌは「餓死」しか「残された道」はない。
こうした日本人の行為に「諸外国」から「ヒドイ!」「餓死は厳しいので、銃殺して、日本隊は帰るべきだ!」と。

このイヌの取り扱いには、西洋人と日本人の間にある「宗教観」の違いがあるそうです。
キリスト教では、キリストだけが「人間の生死」を決める。 犬猫は、その生死を決めるのは「人間」だけ。
日本人には、厳格な規律がないので、越冬隊のイヌは、殺されず、現地に留め置かれた。
日本人はイヌを射殺できなかった。

が、翌年 越冬隊が基地に着くと「放置したイヌ」が出迎えてくれた。

これは、驚きでした。

何も食べ物がない、氷点下の中で、残されたイヌは、鎖を切り裂き、どこかで獲物をとって、食べて
生き延びた。

昔の話ですが、「感動」した、「物語」。

こんな話が「宗教観」を添えて掲載されていました。

「生きる為の選択」 大切なことです。

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ほりたろう について

ウォークマンで音楽を聴きながらデジカメを片手に持って、散策するのが大好きなお爺さんです。17歳の「パピオン」「雄」 を飼っています。
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